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江戸東京野菜Q&A
1)何が特徴?
江戸東京野菜ってどんな野菜なの?
「江戸東京野菜」という正式な名前はありません。ここでは、江戸時代に江戸やその近郊の野菜づくりが盛んな地域で改良された野菜の品種全体を「江戸東京野菜」と総称しています。葉物でも小松菜のように全国ブランドのものもありますが、一般に江戸は耕土が深く水はけのよい関東ローム層の土壌であったことから、「根菜類」が多く発達してきました。たとえば練馬大根や大蔵大根、亀戸大根などは、伝統的な江戸以来の品種がそれぞれの地域の農家の努力で、今も栽培されています。また滝野川ごぼうも、地元の熱心な方たちの働きかけで今は群馬県で作られています。
今の野菜とどう違う?
現在、スーパーマーケットや八百屋にならんでいる野菜は、その大部分が「F1(エフワン)」と呼ばれる1代交配種です。畑で薹(とう)が立つまで育てて、種子をとっても、その種子は発芽する力がなかったり、発芽しても先祖返りしてしまいます。
昔は農家が自分たちで種子をとって、翌年その種子をまきました。でも昔の品種は病害虫に弱く、気候にも左右されやすいため、なかなか収穫量が安定しませんでした。F1はその点、ハウスなどでマニュアル通りに栽培すれば、ほとんど間違いなく一定量以上の収穫が得られます。また、伝統的な野菜は自家採種だったことから、他の野菜との交雑を起こし、品質を一定に保つことが困難でした。F1にはそのような問題もほとんどみられなくなりました。
さらに、最近の野菜は、市場(取引先)の要請に応える形で形質が変えられています。多くの人が「小松菜」だと思っているものは、みかけは小松菜ですが、中国野菜のターツァイなどと掛け合わされたものとなっています。
昔の小松菜は収穫後2日もすると、すっかりしおれてしまいましたが、最近の小松菜は1週間たっても、見かけは新鮮そのものというものもあります。青首大根も朝鮮半島の大根と掛け合わせて、皮が固く水分の多いもの(これも見かけはいつまでも新鮮ですし、育てるときもひび割れしません)になっています。
江戸東京野菜っておいしいの?
これは微妙なところです。味覚は時代や地域でかなり異なっているからです。最近でこそ、日本人もチーズを食べるようになりましたが、それでもフランス人が珍重するとんでもなく匂いの強い山羊のチーズとなると、苦手な人もいるはずです。
苦みや「えぐみ」といった複雑な味という意味では、伝統的な野菜に軍配があがりますが、そういう味を苦手とする人にはどうでしょうか。また小松菜でいうと、伝統品種はシャキシャキしているのに柔らかいという特徴があり、子どもの頃にこれを食べたことのある人なら「なつかしい味だな」と思うかもしれません。「食文化」という意味では、伝統的な味が新しい世代に伝わってほしいと思います。
どこへ行けば食べられる?
都内ではいくつかの料理店が江戸東京野菜を使った料理や、現代風にアレンジした江戸伝来の料理を提供しています。亀戸には、古くから亀戸大根を使った「あさり鍋(深川鍋)」のおいしい店がありますし、最近は日本橋の料理飲食業組合でも江戸東京野菜を使った料理を展開しているようです。また、大塚には豆腐や江戸前の魚などを伝統的な江戸料理の手法で味わえる店もあります。
素材としての江戸東京野菜は、生産者の庭先販売で手に入れるのが手っ取り早いのですが、最近はデパートや高級スーパーでも産地特定の野菜として練馬大根、千住ねぎなどを見かけるようになりました。
2)ルーツは?
江戸になる前に野菜はなかった?
徳川氏が江戸に幕府を開いてから、江戸やその周辺で盛んに野菜が作られるようになりました。そもそも江戸になる前のこの地域の中心地(武蔵国の国府)は、今の府中市でした。江戸になって、各地の大名が江戸屋敷を構え、それぞれの故郷から野菜を持ち込んで屋敷内の畑で育て、その種子が流出して、江戸であらたな品種が生み出されたりしたのです。練馬大根も、徳川氏の故郷である三河の宮重(みやしげ)大根がルーツです。ですから江戸東京野菜は京野菜と違って、江戸時代に生まれたものがほとんどなのです。
なぜ江戸の野菜は「江戸野菜」っていわなかった?
江戸では産地ごとに、たとえば「練馬」大根、「小松」菜、「金町」こかぶなどのように、野菜の品種名がつけられていました。しかし、これらの野菜が「江戸料理」と一体となっていたかというと、必ずしもそうではありません。そのため、京料理と結びついた「京野菜」とか、浪速料理と「なにわ野菜」、加賀料理と「加賀野菜」のように、地域の野菜が地域料理の素材として意識されてこなかったのです。
江戸料理は庶民のファストフードが中心であったことも、江戸の野菜の総称を生まなかった原因かもしれません。もちろん、ブランド好きの江戸庶民でしたから、個々の産地名はしっかりとつけていたのですが…。
また、滝野川(現在の北区)付近の種子屋が、おいしくて優秀な江戸の野菜を個々の産地ブランド名で全国に販売したことも、総称をつけ損なうことになったのでしょう。参勤交代の大名が産地ブランド名のある野菜を持ち帰って、地域で普及させたことも関係しているはずです。
昔はどうやって食べていたの?
ひと言では言いつくせません。根菜類が多く、煮物が中心でしたが、たとえば天ぷら(江戸の天ぷらのおいしさは、関西人もほめます)のような江戸時代の「ファストフード」の付け合わせも少なくありません。江戸はある意味で、男の単身者世帯のまちでしたから、江戸時代からファストフードが発達していました。天ぷらも、にぎり鮨も、鰻丼も、そばも、ファストフードなのです。スローフードというのは、お公家さんの京都や自立的大商人がいた関西の料理にはあっても、江戸の庶民料理にはない概念です。
一方、気さくな料理法は漬物(沢庵、べったら漬け、鉄砲漬けなど)で、佃煮にすることもありました。
それでは、昔のおでんに「大根」は入っていたのでしょうか。東京大学農学部の前に「呑気」という超有名な、100年以上つづいているおでん屋があります。現在のような煮込み型おでんに大根を使うのは、この店から始まったといわれています。もともと「おでん」のルーツである田楽には、豆腐とならんで、大根は最初から使われていたのですが、煮込みおでん自体、江戸末期に生まれたものですから、大根を煮込んだのも意外に新たな歴史なのです。
3)栽培法は?
江戸東京野菜ってどうやって育てるの?
ふつうの野菜とそんなに違いはありません。ただ、現在の野菜のように、市場で何日も新鮮さを保つように品種改良(かどうかは疑問ですが)されていませんし、病害虫への抵抗性もそこまで強くありません。ですから、一般の野菜より手間がかかるのは事実です。大量生産して、市場の流通に乗せるのは難しいかもしれません。
関西に比べれば、江戸の土は厚い関東ローム層におおわれ、火山灰土壌とはいえ、根菜類の栽培には最適です。大根やごぼう、にんじん、かぶなど、料理の素材としては地味ですが、味のしっかりしたものができます。ちなみに、土壌層の薄い関西では葉物が中心で、見た目が美しい関西の料理の素材となっています。
江戸時代に農薬や肥料は使っていたの?
現在の化学的に合成された農薬は使っていませんが、自然のなかにあったものはかなり使っていました(鯨油などもそのひとつです)。
肥料については、「汚い」と思う人もいるかもしれませんが、江戸市中から出る人糞尿が大切な肥料となっていました。年配の方なら知っているかもしれませんが、昔、くみ取り式の便所からくみ取られた人糞尿は、肥溜めで発酵させられた上で、畑に施肥されていました。もちろん、落葉落枝を発酵させた堆肥も使われましたが、人糞尿のほうが圧倒的に速効性のある肥料でした。江戸近郊の狭い耕作地で地力を維持するには、大量の肥料を投入しなければならなかったからです。
ただ、こうした施肥体系は、化学肥料という簡単かつ速効性のある肥料が出現すると、化学肥料を大量に使う体系へと簡単に転換してしまいました。それは、狭い耕地を徹底利用しようとする日本の農業の宿命かもしれません。
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